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福岡高等裁判所 平成元年(う)187号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人古田邦夫、同徳田靖之、同西山巌、同柴田圭一、同安東正美連名提出の控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官板橋育男提出の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決は被告人を有罪と認定して無期懲役に処したが、被告人は無罪であるから、原判決には明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある、というのである。

そこで、検討するに、原判決は、ほぼ争いのない客観的な被害事実として、本件被害者である甲女(以下「被害者」という。)が、昭和五六年(以下、年について記載のない場合は昭和五六年を指す。)六月二七日午後一一時四〇分ころから翌二八日午前零時三〇分ころまでの間に、みどり荘二〇三号室(被害者の居室)において、何者かによって強姦された後、強姦犯人の手及び被害者が着用していたズボンで頚部を締めつけられて絞殺された事実(以下「本件犯行」という。)を認定した上、被告人と本件犯行との結び付きについて、被告人が本件犯行当時二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていたこと、被告人が二〇三号室隣の二〇二号室(当時の被告人の居室)に戻った直後風呂場で自己の身体(足と顔)を洗ったこと、被告人の身体(頚部と左手甲)に本件犯行の際被害者の抵抗によって負傷した可能性の強い損傷が存したこと、本件犯行現場に被告人の陰毛である可能性の高い陰毛が遺留されていたこと、被告人の血液型と犯人の血液型とが一致すること等の事実を認定し、これらの認定事実を総合して、被告人が犯人であるとしているが、原判決の右判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

第一  被告人の身体に存した損傷について

一  頚部の損傷について

1  原判決の認定と判断

(一) 原判決は、本件犯行直後被告人の頚部に次のような損傷があったと認定している。

すなわち、被告人の頚部の傷の一つは、おおよそ、右耳下付近から喉仏付近まで斜め下に細長いもので、その長さは五、六センチメートル、幅は約〇・五センチメートル、皮膚が赤くなっていて、指で押せば消え、指を離すと自然と赤色に戻る状態であったが、遅くとも六月二八日の夕方には見えなくなっていた。

他の一つは、喉仏付近に三個くらいの小さな表皮が剥がれたものであって、表皮が剥がれた部分は赤く身の出ている状態であったが、六月三〇日にはかさぶたがついていた。

(二) そして、右の各損傷について、牧角三郎(以下「牧角」という。)作成の鑑定書(原審検甲一九七号)及び牧角の証言(原審第三〇回公判調書中の牧角証人尋問調書)が、細長い赤くなっている傷は、「発赤反応」を呈していた損傷で、鈍体外力の先端部の擦過的作用によって生じたもの、小さな三個の傷は、いずれも「表皮剥奪」損傷で、鈍体外力の先端部の圧挫的作用によって生じたものであって、いずれも、被害者の爪(手指の爪。以下同じ。)の先端部で生成された可能性があるとしていることから、原判決は、虫に刺されて引っ掻いたかも知れない旨の被告人の弁解を排斥して、本件犯行の際の被害者の抵抗によって生成された可能性が強いと判断した。

2  原判決の判断の当否について

原判決の右判断は是認することができない。

(一) 原判決は、被告人の傷の状態を最も慎重に綿密に観察しているのは、本件犯行直後被告人から事情聴取をした藤内喜雄警察官(以下「藤内」という。)であるとして、藤内の証言を高く評価しているところ、藤内は、六月二八日午前四時三〇分ころから被告人に対する事情聴取を始め、事情聴取が終わるころの同日午前六時三〇分ころ、被告人の頚部に傷があることに気づいたが、その傷の状態はおおよそ前記認定のような損傷状態であった旨証言している(原審第四回公判調書中の藤内証人尋問調書五項から七項まで、三四項、三八項から四五項まで、同第三七回公判調書中の藤内証人尋問調書一五項)。

(二) しかし、藤内は、被告人の傷を観察してから一年以上も経過した後に証言しているものであるところ、観察当時に損傷状態を写真に撮影するとか、損傷状態の見分結果を詳細に図示するなど、確たる記録を残す措置をとっておらず、主として本人の記憶にのみに基づいて証言していること、藤内は、証言時より記憶が新しいはずの捜査段階においては、検察官に対し、右のようには供述せず、頚部の細長い傷はみみずばれみたいな状態であった旨供述していること(原審第五回公判調書中の藤内証人尋問調書六八項)、ちなみに、「みみずばれ」と皮膚が赤くなっている「発赤反応」とは明らかに異なること(原審第三〇回公判調書中の牧角証人尋問調書六三項から六五項まで)、また、藤内は、六月二八日に事情を聴取した際には、喉仏の近くに粟粒大の大きさで表皮のむけたのが三か所あったのに、二日後の六月三〇日の取調時には四か所になっていた旨証言していること(原審第三七回公判調書中の藤内証人尋問調書九四項)等を考え併せると、藤内証言の信用性については疑問の余地があるといわざるを得ない。

(三) また、仮に、藤内証言のとおり被告人の頚部に発赤反応の損傷があったとしても、その生成時期に関する原判決の認定には次のような疑問がある。すなわち、頚部の損傷の生成時期について、原判決は、六月二七日にA女(当時被告人と同棲していた者。以下「A」という。)が実家に帰った(同日午後五時過ぎころ)後被告人が藤内から事情聴取を受ける(翌二八日午前四時三〇分ころ)までの間にできたものであると認定しているが、これは、Aが六月二七日に実家に帰るときには被告人の頚部に傷はなかったと思う旨証言していること(原審第六回公判調書中のA証人尋問調書一九七項)に基づいているものと考えられるが、Aは、他方で、実家に帰るときには被告人の頚部に傷がなかったかどうかまでは確認していないとも証言している(同調書四二三項)のであるから、Aの証言に基づいて、直ちに原判決のように認定することには疑問がある。さらに、前記のとおり、藤内は、六月二八日午前四時三〇分ころから同日午前六時三〇分ころまで被告人から事情を聴取し、その終わりころ、すなわち、午前六時三〇分ころ被告人の頚部に傷があることに気づいたというのであるが、牧角証言(原審第三〇回公判調書中の牧角証人尋問調書六六項以下)及び牧角鑑定書によると、被告人の頚部の傷のうち細長く赤くなっていた部分は発赤反応であって、その発赤反応は皮膚刺激から遅くとも二時間から三時間の経過によって消褪するというのであるから、藤内は、皮膚刺激から遅くとも二時間から三時間のうちにその損傷を観察し認識した可能性が大きいことになり、逆算すると、右損傷は、六月二八日午前六時三〇分ころから二時間ないし三時間前の同日午前三時三〇分ころから同日午前四時三〇分ころまでの間の時間帯に生じたことになる。そうすると、本件犯行の犯行時間帯は六月二七日午後一一時四〇分ころから翌二八日午前零時三〇分ころまでの間であるから、被告人の右損傷は、むしろ、本件犯行の犯行時間帯に生成されたものではない可能性の方が大きいことになる。

(四) なお、牧角は、傷そのものを見ないで、藤内の証言記録を資料として鑑定しているものであるところ、前記のとおり、藤内証言自体に疑問があることに加え、その鑑定結果も、被告人の頚部の損傷が被害者の爪によって生成された可能性を否定することはできないという程度のものであって、被害者の爪によって生成されたという直接の決め手にならないことはもとよりである。したがって、虫に刺されて引っ掻いたかも知れないという被告人の弁解も、一概には否定できないところである。

(五) 以上によると、被告人の頚部の損傷は本件犯行の際の被害者の抵抗によって生成された可能性が強いとした原判決の判断は、疑問であり、是認することができない。

二  左手甲の損傷について

1  原判決の認定と判断

(一) 原判決は、本件犯行直後被告人の左手甲に次のような損傷があったと認定している。

すなわち、被告人の左手甲には、その示指の基部の付近に縦五、六ミリメートル、横一、二ミリメートルの損傷痕があり、その損傷痕から手首方向へほぼ一直線上に一五ないし二〇ミリメートルの間隔で縦横とも二、三ミリメートルの損傷痕、更にほぼ同じ間隔で縦二ミリメートルくらい、横一、二ミリメートルの損傷痕、更に示指基部付近の損傷痕から二〇ミリメートルほど離れた中指の基部付近に縦横とも二ミリメートルほどの損傷痕があったが、いずれも古い傷ではなかった。

(二) そして、右の各損傷痕については、助川義寛(以下「助川」という。)作成の鑑定書(原審検甲二一〇号)及び助川の証言(原審第四一回公判調書中の助川証人尋問調書)が、その傷の生成原因としては人の手指の爪による擦過的作用が最も考えやすいとしていることから、原判決は、ビールラック(ビールケース)を移動中に傷つけたかも知れないという被告人の弁解を排斥して、頚部の傷と同様に、本件犯行の際の被害者の抵抗によって生成された可能性が強いと判断した。

2  原判決の判断の当否について

原判決の右判断は是認することができない。

(一) 原判決が採用した助川鑑定書及び助川証言では、被告人の左手甲に、〈1〉縦七・八九ミリメートル、横二・七八ミリメートル、〈2〉縦二・五三ミリメートル、横三・六二ミリメートル、〈3〉縦一・八九ミリメートル、横一・八二ミリメートル、〈4〉縦横とも二・〇七ミリメートルの損傷痕がある(原審検甲二一〇号の第三表「損傷の痕跡の大きさ」とした上、これらの損傷痕は、鈍体の接触する面の先端が約二ミリメートル大のもので、擦過的な作用を受けた損傷が治癒したものと認める旨鑑定し、その生成原因について、人の手指の中指、人指し指、薬指の爪が一番可能性がある(原審第四一回公判調書中の助川証人尋問調書四四項)としている。

(二) しかし、助川証言には疑問がある。まず、助川は、生成原因について、「鈍体としては爪の先端部」を考えている(同調書四一項)としているが、「鈍体の接触する面の先端が約二ミリメートル大のもので、擦過的な作用」が働く成傷器としては多くの器物、器具が考えられるのに、何故爪の先端部によるものと判断したのか、明らかにしていない。そもそも、右損傷痕は、注意して見ないと気がつかないくらいのごま粒ほどの小さい損傷痕にすぎないところ、助川は、傷そのものを見ないで、すでに傷が治癒して新しい表皮もできているのを撮影した写真を観察して判断している(同調書二五項、九六項)にすぎないのである。次に、助川は、損傷の生成原因としては、中指、人指し指、薬指の爪が一番可能性があるとしているが、損傷の擦過した方向については、〈2〉の損傷痕から〈4〉の損傷痕の方向か、あるいは、逆に〈4〉の損傷痕から〈2〉の損傷痕の方向か、いずれとも決め難いとも証言している(同調書三〇項)。そうすると、右手の指の爪で〈2〉の損傷痕から〈4〉の損傷痕の方向に擦過したのであれば、〈1〉の損傷は人差し指、〈2〉の損傷は中指、〈3〉の損傷は薬指によって生成されたことになるが、〈4〉の損傷痕から〈2〉の損傷痕の方向に擦過したのであれば、〈1〉の損傷は薬指、〈2〉の損傷は中指、〈3〉の損傷は人差し指によって生成されたことになり、左手による場合はその逆になるから、その方向がいずれであるか決め難いということは、どの指の爪でどの損傷が生成されたかまでは不明ということになる。また、いずれも爪によって生成されたというのに、何故、〈1〉の損傷はやや長くなり、〈2〉と〈4〉の損傷は連続しないごま粒ほどの点と点になり、〈3〉の損傷は一個の点になったかについても、その根拠を明らかにしていない。ちなみに、〈2〉と〈4〉とが連続していない理由は分からないとしている(同調書一四六項)。したがって、その生成原因としては、中指、人差し指、薬指の爪が一番可能性がある旨の証言は、説得力に欠けるといわざるを得ない。

(三) 仮に、被告人の左手甲の損傷が爪によって生成されたとしても、被害者の爪によって生成されたという直接の証拠はない。

原判決は、ビールラックを移動中に負傷したかも知れない旨の被告人の弁解は、助川鑑定書及び助川証言によって否定されていること、さらに、左手甲の損傷の生成原因に関する被告人の弁解自体、供述に変遷があることから、被告人の弁解は信用することができないとして、右損傷は、本件犯行の際の被害者の抵抗によって生成された可能性が強いと判断したものと思われる。

そこで、被告人の弁解について検討すると、被告人は、左手甲の損傷について、まず、六月二八日早朝藤内から事情を聴取されたときは、「六月二六日会社でビールラックを移動するときに負傷したものと思う。」旨供述し(原審検乙八号)、次に、逮捕されて、抽象的ながら不利益供述をしていた昭和五七年一月二三日には、「ステレオを聞きながら横になっていて、その後二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていたときまでのどうしても思い出せない空白の時間にできたものとしか考えられない。」旨供述し(原審検乙八号)、二日後の同月二五日には、「警察で事情を聞かれたときに首筋や左手甲に新しい傷のあることを言われて初めて自分の体に傷があることを知った。」旨供述し(原審検乙九号)、その後、検察官に対しては、ビールラックを移動する際に傷つけたと思う旨供述し(原審検乙一三号、乙一四号、乙一五号)、さらに、原審公判廷においても、第二〇回公判から第二二回公判まで同様に供述したが(原審第二〇回公判調書中の被告人供述調書一五八項、第二一回公判調書中の被告人供述調書一七〇項以下、第二二回公判調書中の被告人供述調書三四三項以下)、第三二回公判においては、「藤内に言われて気がついた。」という趣旨の供述をしている(原審第三二回公判調書中の被告人供述調書一三三項以下)。しかし、「どうしても思い出せない空白の時間にできた」旨の供述は後記のとおり信用性がないので、そうすると、被告人の弁解は、傷ができたことに気がつかなかったか、あるいは、ビールラックを移動するときに負傷したものと思うということで一貫していることが明らかである。そして、左手甲の損傷が、縦横とも二ないし三ミリメートルのごま粒ほどの小さい傷であることを考慮すると、日常生活の中で気づかないうちに負傷することもあり得ないわけではなく、被告人が負傷したことに気づかなかった旨の弁解も一概には否定することができない。また、ビールラックを移動中に傷つけたかも知れない旨の被告人の弁解は、ビールラックで打ったときにできたのではないかという推測の説明であり、ビールラックで傷つけたという記憶に基づいたものではないのであるから、弁護人が主張するように、ビールラックの突起部は、古いビールラックになると、その表面にささくれや凸凹が生じていることもあり、その部分と左手甲との接触によって負傷する可能性も全くないとはいえないこととあいまって、被告人の右弁解も完全には否定することができないところである。

もっとも、被告人の右弁解は、助川鑑定書及び助川証言によって否定されてはいるが、助川は、被告人が負傷したかも知れないというときに扱ったビールラックを使用せず、他のビールラックを使用して実施した検証の際に被告人がとった行動等に基づく検証調書を資料として鑑定しているものであるから、これを無条件に採用して、被告人の弁解を理由がないと排斥することは相当でない。助川鑑定書及び助川証言は、被告人の左手甲の損傷は爪によって生成された可能性があるという程度に理解すべきものである。

(四) 以上によると、被告人の左手甲の損傷は本件犯行の際の被害者の抵抗によって生成された可能性が強いとした原判決の判断は、根拠に乏しく、是認することができない。

第二  犯行現場に遺留されていた陰毛について

一  原判決の認定と判断

1  原判決は、三宅文太郎(以下「三宅」という。)ほか作成の鑑定書(原審検甲一一一号)によると、六月二八日、被害者方である二〇三号室六畳間の本箱前畳上に遺留されていた陰毛一本(原審検甲七二号の鑑定資料番号3、甲九五号の鑑定資料番号1号の3、甲九七号の鑑定資料番号1号の2、甲九六号の右側番号3号の1。以下「本件遺留陰毛」という。)と被告人から採取した陰毛とは、形態学的検査において、毛先端の形状、色調、長さ、毛幹部の太さ、髄質の性状などほぼすべての特徴点で類似し、血液型検査では同じB型であり、分析科学的検査においても、塩素、カリウム、カルシウムとも同じピークパターンを示して類似していることから、本件遺留陰毛と被告人の陰毛とは同一人に由来すると推定されると鑑定しているが、現場の体毛採取、保管、鑑定嘱託の経過からすると、鑑定の対象となった遺留陰毛の中に被告人から直接採取した陰毛が誤って混入される可能性はない上、三宅鑑定書は、多岐にわたる項目について、肉眼ばかりでなく顕微鏡まで使って入念に検査し、形態学的検査、血液型検査及び分析科学的検査の結果を総合して判定しているのであるから、三宅鑑定書には信用性があると評価した。

2  そして、原判決は、本件遺留陰毛が二〇三号室の中という限られた場所で採取されており、しかも、二〇三号室は通常の住居として使用されていて同室に陰毛を遺留した者の数は多いとは認められず、また、被告人以外の者で被告人の陰毛と形態が類似し、かつ、極めて類似した元素のピークパターンを示す陰毛を持ち、血液型も被告人と同じ者が、二〇三号室という限られた場所に陰毛を遺留する可能性は相当低いと考えられるとして、被告人の陰毛である可能性の高い陰毛が二〇三号室に落ちていたと判断した。

二  原判決の判断の当否について

原判決の右判断は是認することができない。

1  まず、体毛鑑定によって、どの程度個人識別できるかについてみるに、「毛の医学」と題する文献三三頁(当審弁八四号)によると、「毛は長い間皮膚紋理のように、個人識別の手段と考えられてきた。しかしヒトの毛の構造は予言しうるほど一定のものではない。すなわち同一の部位の中で、一本の毛は通常他の毛とは相違があり、同一の毛においてさえも異なる部では異なる構造を呈することがある。色調、直径、毛小皮及び毛髄のいずれにおいても、個々の毛はその部位によって異なっている。それゆえまれな特異体質の場合を除いて、毛の構造は個人識別の手がかりとして用いることはできないし、またすべきでもない。」としており、また、「現代の法医学」と題する文献一九三頁(当審弁九三号)によると、「肉眼的または顕微鏡的に頭毛から個人識別を行うという考え方は以前よりあるが、不可能の場合が多い。毛幹部の幅、髄質の占める割合、含気量や形態、皮質の含気量、色素沈着の程度、毛小皮紋理の特徴などを根拠にした分別法があるが、同一人の頭毛のなかでも性状がかなり異なっている場合があるので、なるべく沢山の頭毛を分析し、その結果を統計的に調べるという方法で、ある程度の推測を行なっている程度のものと考えておいた方がよい。」、「最も信頼のおける個人識別は毛髪に付着しているゴミや、病変及び人工的な修飾などであり、このために発光分析やニュートロン・アクティベーション法による毛髪中の金属元素の定量分析法が利用されている。とくにニュートロン・アクティベーションではかなり個人差がはっきりすることがガンマ・スペクトロメーターの分析で判明しているが、現在の段階ではまだ指紋のようにはっきりとした結果は得られていない。」として、いずれも、体毛鑑定によって個人識別ができるとすることには消極的である。

2  次に、三宅鑑定書は、本件遺留陰毛と被告人の陰毛とは同一人に由来すると推定されると鑑定しているが、その判断の根拠は曖昧であり、薄弱である。

(一) すなわち、三宅鑑定書によると、本件遺留陰毛と被告人の陰毛とは、形態学的検査において、毛先端の形状、色調、長さ、毛幹部の太さ、髄質の性状などほぼすべての特徴点で類似していること、血液型検査において、同じB型であること、さらに、分析科学的検査において、「塩素のピークパターンが中等度」であり、「カリウムがカルシウムよりピークパターンがより高い」という同じ特徴があること、以上の検査結果が認められることから、両陰毛は「良く類似」すると判定し、これが本件遺留陰毛と被告人の陰毛とは同一人に由来すると推定される根拠になっている。

しかし、「陰毛の形状や色調等が類似する」、「ピークパターンが中等度」という表現は幅のある表現であることから、被告人の陰毛の形状、色調等と類似した陰毛を持つ者が他にいる可能性があることはもとより、被告人以外に「塩素のピークパターンが中等度」で、「カリウムがカルシウムよりピークパターンがより高い」という特徴を持った者がいる可能性もあるから(三宅鑑定書もこのことを否定する趣旨ではないことは明らかである。)、被告人の陰毛と形状や色調等が類似し、「塩素のピークパターンが中等度」で、「カリウムがカルシウムよりピークパターンがより高い」という特徴があることを理由に、「類似する」という枠を越えて、本件遺留陰毛が被告人に由来すると推定することには多大の疑問がある。なお、三宅鑑定書は、両陰毛の血液型が同じB型であることをもって、両陰毛が同一人に由来すると推定される根拠の一つにしているが、血液型検査によって個人識別ができないことは多言を要しない。

(二) 三宅鑑定書を作成した一人である三宅の証言(原審第八回公判調書中の三宅証人尋問調書)によると、体毛(主として頭毛と陰毛)の鑑定において、まず、形態学的検査は、肉眼及び顕微鏡で体毛の色、太さ、中の髄質の特徴、表面の紋理模様、長さ、毛先の形態等を総合して識別する(同調書一五項)というものであるが、体毛の色が同じ人は多数存在する上(同調書一七項)、同一人の体毛でも、その色調、光沢が違うことがあること(同調書一〇二項)、同一人でも異なった時期に採取すると、硬さや光沢が違うことがあること(同調書九〇項)、同一部位の体毛であっても、採取した時期によって色調、形状が異なることがあること(同調書九一項)、髄質についても、同一人でも異なることがあり(同調書九七項)、また、髄質の状態が似ているから同一人とはいえないこと(同調書九八項)、色素顆粒についても同じことがいえること(同調書九九項)から、結局、形態学的特徴では体毛の識別は困難である(同調書一〇二項)というのである。

また、分析科学的検査についてみると、これは体毛の表面の塩素、カルシウム、カリウムの元素の量を分析して、その個人的特徴から同一性の異同を識別する(同調書二五項、二六項)というものであるが、塩素、カルシウム、カリウムの元素の量に個人差がでる理論的仕組みは明らかでなく、科学警察研究所で扱っているデータの中で、右の三元素のピークパターンについて比較的特徴が出ることから、検査の一つに入れているということ(同調書一〇八項、一〇九項)、塩素については、ピークパターンが大きく出たり、中程度であったり、ほとんど出なかったり、一人の人の体毛について、特徴が出てくる人もいれば、偏って出てくる人もいて一定ではないこと(同調書一一一項)、頭毛と陰毛とで塩素のピークパターンが異なる理由ははっきりせず、洗髪によっても影響を受けるのではないかと推測されること(同調書一二〇項)から、結局、分析化学的特徴というのも断定的なものではない(同調書一二五項、一三六項)というのである。

(三) そうすると、三宅鑑定書は、本件遺留陰毛と被告人の陰毛とは「類似する」という程度の域を出ないものであり、あるいは、本件遺留陰毛が被告人に由来する可能性を否定することができないという程度のものにすぎず、本件遺留陰毛に類似する陰毛を持つ者は被告人以外にも存在する可能性を完全には否定することができないのである。

したがって、三宅鑑定書のような形態学的検査、血液型検査及び分析化学的検査の結果をもって、直ちに本件遺留陰毛と被告人の陰毛とが同一人に由来すると推定することはできないというべきである。

なお、原判決は、血液型も被告人と同じ者が二〇三号室という限られた場所に陰毛を遺留する可能性は相当低いとしているが、本件の約一年三か月前まで二〇三号室に居住していた本件被害者の前居住者の血液型は被告人と同じB型であり(当審弁二二号から弁二七号まで)、本件遺留陰毛が犯行場所と思われる台所板の間からではなく、六畳間の本箱前畳上から採取されていることを考慮すると、本件遺留陰毛が前居住者のものである可能性を否定することはできないと思われる。

3  以上によると、体毛鑑定は、個人識別の方法として絶対確実とはいえず、体毛鑑定の結果を重要な決め手とすることは危険であって許されないというべきであるところ、原判決は、三宅鑑定書には信用性があると評価した上、被告人の陰毛である可能性の高い陰毛が二〇三号室に落ちていたと判断し、被告人と本件犯行とを結び付ける重要な状況証拠の一つとしているのであるから、原判決の右判断は、誤りであり、是認することができない。

第三  犯行現場に遺留されていた毛髪について

一  DNA鑑定の結果について

当審鑑定人三澤章吾は、当庁平成三年押第一〇号、符号16の1、台紙記号〈10〉、毛髪番号1の毛髪(以下「本件遺留毛髪」という。)から、被告人のACTP2-VNTRと同一の型をもつDNAが検出されたと鑑定した(当審職権五二号、職権五三号。以下「三澤鑑定書」という。)。

二  三澤鑑定書の信用性について

三澤鑑定書には信用性を是認することができない。その理由は次のとおりである。

1  本件遺留毛髪の長さと本件犯行当時の被告人の毛髪の長さとを比較検討すると、本件遺留毛髪が被告人の毛髪であるとは到底考えられない。

(一) 関係証拠によると、まず、捜査の過程において、六月二八日午前一時二〇分から同日午前五時三〇分までの間に、被害者方である二〇三号室六畳間の押入れ前の畳の上から遺留毛一四本が採取されたこと(原審検甲六八号の採取番号5)、右一四本は、頭毛(以下「毛髪」という。)一二本と陰毛二本であるところ、警察技術吏員において、毛髪一二本のうち被害者及びその姉の毛髪と思われる長い毛髪一〇本を選び出して除外し、それ以外の残りの毛髪二本及び陰毛二本を、その他の毛髪資料等と一緒に、鑑定のため科学研究所へ送付したこと(原審第八回公判調書中の津崎園恵証人尋問調書、原審検甲七二号の鑑定資料番号5、甲七三号の鑑定物件名番号5、甲九五号の資料番号1号の5、甲九六号の鑑定物件名番号1号の5、甲九七号の鑑定資料番号1号の4、3号の2)、その後、DNA鑑定のため、科学警察研究所への鑑定嘱託から除外されていた長い毛髪一〇本をも含めた毛髪資料等が三澤鑑定人へ送付され、鑑定の結果、科学警察研究所への鑑定嘱託から除外されていた長い毛髪一〇本のうちの一本から被告人と同一の型をもつDNAが検出された旨の鑑定結果がでたこと(当庁平成三年押第一〇号、符号16の1、当審職権五二号の台紙記号〈10〉、毛髪番号1)が明らかである。

そうすると、本件遺留毛髪は、前記のとおり、そもそも一見して被告人の毛髪とは思われないほど長い毛髪であったため、捜査段階の当初から、被害者及びその姉の毛髪と思われるとして処理されていたものである。

そして、当審鑑定人岸紘一郎作成の鑑定書(当審職権五四号)によると、同鑑定人に対する本件遺留毛髪の血液型鑑定嘱託時には、本件遺留毛髪の長さは約一四・六センチメートルであったが、押収物総目録符号16の1についての押収物変化状況についての説明(当審第二二回公判調書中の原田勝二証人尋問調書六八項から七〇項まで)によると、本件遺留毛髪については、岸鑑定人に鑑定嘱託のため送付する前に、DNA鑑定の際一センチメートル切断して費消しているから、DNA鑑定嘱託時には約一五・六センチメートルであったことが認められる。

したがって、二〇三号室から採取された当時の本件遺留毛髪の長さは、約一五・六センチメートルであったことが明らかである。

(二) 他方、被告人の本件犯行当時の毛髪の長さは、関係証拠によると、次のとおりである。

すなわち、六月三〇日に被告人から採取した毛髪四本(原審検甲九五号、甲九六号、甲九七号)の長さは、〈1〉五・六センチメートル、〈2〉七・〇センチメートル、〈3〉五・八センチメートル、〈4〉四・九センチメートル(原審検甲一〇九号の表5)であり、七月一五日に被告人から採取した毛髪一〇本(原審第五回公判調書中の倉原文吉証人尋問調書六項から一二項まで)の長さは、〈1〉五・九センチメートル、〈2〉六・四センチメートル、〈3〉五・〇センチメートル、〈4〉五・四センチメートル、〈5〉三・五センチメートル、〈6〉三・七センチメートル、〈7〉五・三センチメートル、〈8〉五・三センチメートル、〈9〉四・〇センチメートル、〈10〉三・三センチメートル(原審検甲一〇九号の表5)であったので、被告人から採取した毛髪のうち、最も長いものが七・〇センチメートル、最も短いものが三・三センチメートルであり、平均すると五・〇七センチメートルである。

そして、理容師であるBは、七月一一日午後一一時五〇分から翌日午前零時五分までの間に撮影した被告人の写真(原審検甲一三八号の写真1)の頭毛について、メッシュ(パンチパーマのようなもので、パーマをかけた結果が網の目のようになったもの)がかかっていて、その長さは五、六センチメートルであり、散髪してから約一か月経過していると思う旨証言し(当審第二三回公判調書中のB証人尋問調書一五七項から一六〇項まで、三二二項)、また、大分県理容美容職業訓練校の指導員等をしているCは、右の写真について、パンチパーマかコールドパーマがかかっていて、その長さは五センチメートルか六センチメートル弱であり、パーマをあけてからアイロンであれば約一か月半、コールドパーマの場合は一か月弱経過していると思う旨証言している(当審第二三回公判調書中のC証人尋問四五項から五〇項まで、五三項、五四項)。

(三) 以上の点を考え併せると、長さ一五・六センチメートルもあるような本件遺留毛髪が被告人の毛髪であるとは到底考えられず、三澤鑑定書の鑑定結果にはDNAの鑑定作業中に誤って他の資料が混入するなど鑑定作業の過程において何らかの過誤が生じたのではないかとの疑いを払拭することができない。

2  三澤鑑定書では、前記のとおり、本件遺留毛髪から被告人と同一の型をもつDNAが検出されたと鑑定しているが、実際に鑑定作業等を担当し鑑定書も起案した原田勝二筑波大学助教授は、当審公判廷において、塩基数は同一でも、塩基置換を生じている可能性もあるので、三澤鑑定書で「同一の型」というのは、「類似性」があるという趣旨のものである旨証言し(当審第二二回公判調書中の原田勝二証人尋問調書一九二項から一九五項まで、二一五項)、塩基数が一塩基違えば他人のDNAであるのに(当審第二二回公判調書中の原田勝二証人尋問調書一七八項、一九一項)、三澤鑑定書では、DNAバンド測定において幅のある不正確な測定をしていることから、現時点のレベルからみると、三澤鑑定書の鑑定結果は破綻しているといっても差し支えない旨自ら認めているところである(当審第二五回公判調書中の原田勝二証人尋問調書一三一項から一三五項まで)。

3  以上によると、本件遺留毛髪から被告人のACTP2-VNTRと同一の型をもつDNAが検出された旨の三澤鑑定書には、その信用性を是認することができず、三澤鑑定書をもって、被告人と本件犯行を結び付ける証拠とすることはできないといわざるを得ない。

第四  被告人の不利益供述について

一  原判決の認定と判断

1  被告人の不利益供述の内容は、原判決が、補足説明第四の二「被告人の供述の内容及びその変遷」の項に列記してあるとおりである。

概観すると、「被害者を殺したことは間違いないと思う。」旨抽象的に供述してはいるが、犯行そのものの具体的な状況等については記憶がないというものである。そして、「気がつくと、二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていた。その後二〇三号室玄関ドアから出て二〇二号室へ戻った。」旨断片的な供述をし、倒れている被害者の状況については詳細な供述をしている。そのほか、二〇二号室に戻って風呂場で身体(足と顔)を洗ったこと、放映されていたテレビ映画の画面を記憶していることについても供述している。

2  原判決は、被告人の当初の捜査官に対する不利益供述(原審検乙四号、乙一〇号、乙五号)について、捜査官が被告人に対して母親らに会わせてやると約束したことと不利益供述をしたこととの間に因果関係があることは否定することができないとして、いわゆる「約束による自供」の範疇に入ると評価しながら、結局、任意性及び信用性には影響がないとし、さらに、その他に任意性及び信用性を疑わせる事由はないとして、その後の捜査官に対する供述調書等をも含めた被告人の不利益供述をもって、被告人が二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていたこと、その後、被告人が二〇三号室玄関ドアから出て二〇二号室に戻り、風呂場で身体(足と顔)を洗ったことの各事実を認定し、被告人が犯人であることの有力な決め手の一つであると判断した。

二  原判決の判断の当否について

原判決の右判断は是認することができない。

1  捜査段階における不利益供述について

(一) 不利益供述の特異性について

被告人の不利益供述の内容は、被告人が被害者を殺したことは間違いないとしながら、犯行の動機はもとより、二〇三号室への侵入経路、強姦及び殺人の犯罪行為そのものに関しては、全く記憶がないという不自然なものである。そして、気がつくと、被告人が二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていたというものであるが、その倒れている被害者の状況に関する供述内容は、死体が仰向けになって倒れている状況、頭の位置とその方向、両足の位置とその方向、首にズボンが巻かれ、胸のところに白色のシャツか服があり、下半身が裸であった状況など極めて詳細であるという特異なものである。強姦や殺人などの重大犯罪を犯した犯人であれば、死体の詳細な状況を確認する余裕などないまま逃走するのが通常であろうと考えられるのに、冷静に死体の状況を観察してその横に立っていたというものであり、あたかも死体発見当時の被害者の状況を撮影した実況見聞調書の写真(原審検甲五号)を見ながら供述しているかのようである。一読して、被告人の実体験に基づく供述であるか甚だ疑問である。

(二) 不利益供述の任意性について

被告人が最初に不利益供述をした昭和五七年一月一八日付けの警察官調書二通(原審検乙四号、乙五号)及び検察官調書(原審検乙一〇号)は、関係証拠によると、被告人が同月一四日に逮捕されて四日後に、次のような状況のもとで作成されたものである(以下、いずれも同月の「日」)。

すなわち、まず、当時の被告人の健康状態、食事の摂取状況、取調べの状況をみると、被告人は、逮捕の日の翌日である一五日には風邪をひいて警察嘱託医の診察を受け、熱が三七・一度あったので、感冒薬の注射を受けたこと(原審検一四二号、原審第一六回公判調書中のH証人尋問調書四四項、六一項)、最初に不利益供述をした一八日にも注射を受けているが、喉が赤く腫れ、鼻水が出ていたこと(同調書七七項以下)、その間、逮捕された一四日の夜は食事に手をつけず、一五日は朝牛乳を飲み、昼は弁当を食べているが、その夜、一六日の朝、昼、夜は食事に手をつけず、一七日の朝はパンを食べ、牛乳を飲んでいるが、当日の昼、夜は食事に手をつけず、一八日朝も食事に手をつけない状態で問題の取調べがなされ、昼はラーメンを食べて、当日二回目の警察官による取調べがなされたこと(原審検甲一四一号)、そして、取調べは、逮捕された一四日は午後一一時まで、一五日は午後九時三五分まで、一六日は午後一〇時まで、一七日は午後一〇時五〇分まで、一八日は午後五時五二分までなされたこと(原審検甲一四一号)が認められる。結局、被告人は一五日夜から問題の一八日まで風邪をひいて発熱し、注射を受けながら、一五日夜から一八日昼までの間にパンと牛乳を一度とっただけで、深夜まで取調べを受けており、一八日午前中の取調べを終えて午後零時五八分から午後一時一〇分までの間に母親と姉に面会した際は(原審検甲一四一号)、母親のみたところによると、被告人は、「色はまっ黒というか、あんな色はないです。目をギョロギョロし、私たちがものを言っても、口をパクパクさせるだけで、言葉にはならなくて、涙をポロポロ流すだけでした。頬はこけて亡霊みたいでした。」というものであって(原審第一七回公判調書中のI証人尋問調書五一項から五五項まで)、当時の取調べが如何に苛酷であったかがうかがえるところである。

次に、被告人が、前記のとおり、母親と姉に面会した経緯についてみると、被告人は、一四日逮捕された日に、大分合同新聞の一面トップに載っていた「隣室の男逮捕へ」という大きな見出しの記事(当審弁一九号)を見て、逮捕される前に母親に会いたいと考えて自宅に戻ったが、会う前に逮捕されてしまい、その後は、自分が強姦、殺人という重大犯罪を犯した犯人として逮捕されたことから、母親らの身の上を心配し、無事であることを確認したいと考えていたこと、一七日の取調べにおいて、捜査官が、被告人に対し、「取調べを受けている身であるから、質問に対して答えなさい。」といって追及し、被告人が答えなかったことから、「お前のその態度は何か。」と言って責めたてたところ、被告人は、母親らのことが心配であるから一晩考えさせてくれと言ったこと(原審第一四回公判調書中の藤内証人尋問調書四四項から六一項まで)、そして、一八日午前の取調べ中、被告人は、母親に会わせてくれと言って、涙を浮かべ、声を出して泣き始めたこと(同調書九五項から九七項まで)、このような被告人の態度をみて、捜査官が、「分かった。じゃ、上司と相談して至急会えるようにしてあげよう。だからお前の記憶のあることを全部話しなさい。」、「どこから入ったのか。どうしたのか。」と追及したところ、被告人は、ついに「二〇三号室の玄関ドアから出たことははっきり言えますし、覚えております。」と供述したが、詳しいことは母親と会ってから述べると言って、それ以上の供述はしなかったこと(同調書七五項から一〇六項まで、原審検乙四号、乙一〇号)、そこで、捜査官は、被告人から供述を得るためには母親らと面会させた方がよいと考え、また、面会させるという約束に従って、前記のとおり、母親と姉に面会させるに至ったこと、面会終了後の取調べにおいて、被告人は、「午前中にお母さんとも面会しましたので、(中略)私が記憶していることを正直に申し上げます。」と言って、「気がついたら、被害者方炊事場板の間に立っており、足元に被害者が倒れていたこと、その後自室に戻り、風呂場で足を洗い、それから顔を洗ったこと、テレビを見たこと」などの詳細な供述をして、一八日付け二回目の警察官調書が出来上がったこと(原審検乙五号)が認められる。右の経緯は、捜査官の証言や被告人の不利益供述調書自体によって認められるものであり、捜査官が、被告人が母親らの身の上を心配し、会いたがっていることを利用して、母親らと面会させる約束をし、実際に面会させたことの代償として不利益供述がなされたことは疑う余地がない。

以上のような状況及び過程のもとで、最初の不利益供述の調書である原審検乙四号、乙五号、乙一〇号が作成されたことを考えると、右の各供述調書に任意性を認めることには躊躇せざるを得ない。

さらに、その後の取調過程において軽視することができないのは、取調べにあたった捜査官が、被告人に対し、「お前の体毛が二〇三号室にあったという鑑定が出ている。」と決めつけて追及した(原審第一四回公判調書中の藤内証人尋問調書一六八項)ことである。一般に、体毛鑑定の結果が個人識別の方法として絶対確実とはいえないことは前記のとおりであって、本件体毛鑑定の結果も、単に本件現場に遺留されていた体毛が被告人の体毛に類似するというにすぎず、被告人以外の者の体毛である可能性もあるわけであるから、本件体毛鑑定の結果をもって、被告人の体毛が二〇三号室にあったと決めつけて追及することは許されないというべきである。しかるに、捜査官が、被告人の体毛が現場にあったとして被告人を追及し、併せて、犯行についての具体的な記憶がないのは、被告人は飲酒すると記憶がなくなることもあるからとして追及した(原審証人J証人尋問調書一三一項から一三四項まで、原審第四四回公判調書中の被告人供述調書二〇項以下、当審第三回公判調書中の被告人供述調書八二項以下)ことは、被告人が一貫して犯行自体については記憶がないと供述しながら、ついに「私の頭毛や陰毛が現場にあったことで私以外にはないし、血液型も私と同じB型であり、(中略)私が甲女さんを殺したのに間違いありません。」と抽象的ながら犯行を認める供述をせざるを得なくなったこと(原審検乙八号)からも明らかである。

その他、被告人の精神状態に関する仲宗根玄吉作成の鑑定書(原審検甲一五四号)によると、被告人は、自閉的で内向的な性格であり、心的ストレスに対する抵抗力が弱く、危機的状況において容易に心的破綻に陥る傾向があることが認められること、前記のとおり、不利益供述の内容自体が極めて不自然であること等を考慮すると、前記の原審検乙四号、乙五号、乙一〇号に引き続いて作成された捜査段階における被告人の不利益供述を内容とする各供述調書は、いずれも、取調べにおいて、被告人が心理的強制を受け、その結果虚偽の不利益供述を誘発されたおそれが濃厚であるから、その任意性には疑いがあるといわざるを得ない。

(三) 不利益供述の信用性について

(1) 捜査段階における被告人の不利益供述については、前記のとおり、その任意性に疑いがあるが、原判決は、その任意性を認めた上、信用性をも是認しているので、以下、その信用性について付言する。

原判決は、被告人の捜査段階における不利益供述には信用性があるとして、次のとおり説示している。

〈1〉 本件犯行当時、二〇二号室の真下である一〇二号室に居住していたD女(以下「D」という。)は、原審公判廷において、「二〇三号室から物音がしなくなってから、二〇分くらい経って、二〇二号室の風呂場で水を使う音が聞こえた。」旨証言(原審第三回及び第二三回各公判調書中のD証人尋問調書)しているところ、右証言部分自体の信用性に疑いを抱かせる事情はないので、これと符合する、「二〇三号室から二〇二号室に戻り、風呂場で足を洗い、それから顔を洗った。」旨の被告人の供述には信用性がある。

〈2〉 被告人は昭和五七年一月一八日付け警察官調書(原審検乙五号)において、「二〇三号室から二〇二号室に戻ったとき、テレビが『ドイツ軍人が二階から一人降りて来てテーブルを囲んで話している人にピストルか銃を発砲した画面』であった。」旨供述し、同月一九日付けで同様の画面の図面を作成している(原審検乙一八号)ところ、関係証拠によると、当日放映されていたテレビ映画「荒鷲の要塞」の中で、らせん状の階段を一人のドイツ軍人が銃を構えながら降りてくる画面は一か所しかないから他の画面と見間違えることはないこと、右画面は、当日放映されたものと内容の編成及び映写所要時間がほぼ一致している「荒鷲の要塞」のビデオテープを再生開始してから五三分一九秒後に出てくる画面であること、そして、当日のテレビ映画「荒鷲の要塞」の放映開始時刻が六月二七日午後一一時五二分であることが認められるので、被告人は翌二八日午前零時四五分ころに右のテレビ画面を見たことになり、そうすると「二〇三号室から二〇二号室に戻ったとき右のテレビ画面を見た記憶がある。」旨の被告人の供述には信用性がある。

〈3〉 右〈1〉及び〈2〉のとおり、被告人が二〇三号室から二〇二号室に戻って風呂場で足と顔を洗ってから、右のテレビ画面を見た旨の被告人の供述には信用性があるので、その直前の場面である「二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていた。」旨の被告人の供述も信用することができる。

(2)そこで、まず、右〈1〉について検討する。

原判決が信用性があるとして採用したD証言には、次のような疑問がある。

すなわち、Dは、二階で大きな音がして騒いでいたため、恐くなって布団を頭から被って(原審第二三回公判調書中のD証人尋問調書一七七項、一七八項)寝ていたら、音が聞こえなくなって二〇分くらい経ってから二階の風呂場から水を使う音が聞こえたと証言し(原審第三回公判調書中のD証人尋問調書八五項から八七項まで)、それは二〇二号室からであったと明言するが(原審第二三回公判調書中のD証人尋問調書一五七項)、他方で、二階で水を流す音は風呂場の音よりトイレの音の方がはっきり分かるとしながら(同調書三八項)、一般にトイレの水を流す音は、二階の何号室のものか分からない(同調書一四二項)とも証言しており、果して、本件犯行後二〇二号室の風呂場から水を使う音がしたといい切れるのか、疑問である。

また、Dは、水の音について、それは風呂場で水を三回くらいパシャッとかける音で、バスマットに当たるような音であった旨(原審第三回公判調書中のD証人尋問調書八七項から八九項まで)証言し、それも、中腰になって水を被っているなと思う音であった旨(原審第二三回公判調書中のD証人尋問調書五一項)証言しているが、一階で布団を頭から被って寝ている状態で、二階の水音をそこまで子細に聞き分けることができるか、甚だ疑問である。ちなみに、前記のA証言によると、当時二〇二号室の風呂場にはバスマットは敷いていなかったことが明らかである(原審第六回公判調書中のA証人尋問調書二三三項、二三四項)。

以上の点に加え、Dは、一方において、二階の騒ぎは、男の人が女の人を追いかけ回しているような感じの音であった旨(原審第三回公判調書中のD証人尋問調書三三項)、微に入り細に入った場景を証言していること、他方において、前記のとおり、二階で水を流す音は、風呂場の音よりトイレの音の方がはっきり分かるとしながら、二〇三号室の騒ぎがおさまった直後二〇五号室でトイレの水を流しているのに(原審第二回公判調書中のE証人尋問調書一四九項)、その水音には気づかなかった旨(原審第二三回公判調書中D証人尋問調書三六項、三七項)、不自然な証言をもしていることを併せ考えると、Dは、事件の内容を知った上で、想像をも交えながら、あたかもすべてを経験して知っているかのように証言しているのではないかという疑いが濃厚であり、ひいては、全体的に真実を証言しているのか疑わしい点が多いといわざるを得ない。

なお、原判決は、昭和五七年九月二七日に実施した原審の検証の結果によって、D証言を信用することができるかのように判断しているが、右検証では、二〇二号室の風呂場の洗い場で、洗面器で、〈1〉足元(高さ約三〇センチメートル)、〈2〉腰(高さ約八〇センチメートル)、〈3〉肩(高さ約一・五メートル)の高さから流した水の音を一〇二号室で聞き取ることができるかどうかを検証しただけで、D証言にあるように、いったん体に水をかけてバスマットに落とした際の水の音については検証しておらず、いったん体に水をかけて落とす場合と直接流す場合とでは、水の音にも大きな違いが生ずることは明らかであること、また、本件犯行は深夜であるのに、右検証は午前一〇時から午後零時一〇分までの間に実施されたことを併せ考えると、水の音をどの程度聞き取ることができるかに関する右検証の結果をもって、D証言の信用性を判断するのは困難である。

また、原判決は、被告人が風呂場で汚れた陰茎をも洗った旨認定しているが、Dは、三回くらい中腰で水を被っているなと思う音がしただけで、その後、風呂に入る音、あるいは、引き続き湯を使う音はしなかった旨(原審第二三回公判調書中のD証人尋問調書四九項、五一項、五三項)証言しているところ、「水を被る」というのは、上半身を含めて水をかけるのが通常の仕草であろうと考えられるから、このような証言のみから直ちに、原判決のように、汚れた陰茎を洗ったなどと認定することはできないはずである。しかも、不利益事実を認めた被告人の供述調書においてさえ、被告人は、陰茎を洗ったことは否定している(原審検乙五号)のであるから、なおさらである。

以上によると、D証言があることを支えにして、「二〇三号室から二〇二号室に戻り、風呂場で足を洗い、それから顔を洗った。」旨の被告人の供述に信用性を認めることはできないものといわざるを得ない。

(3) 次に、右〈2〉について検討する。

本件犯行当時放映されていたテレビ映画について、被告人が見た記憶があると供述している画面、すなわち、「ドイツ軍人が二階から一人降りて来てテーブルを囲んで話している人にピストルか銃を発砲した画面」の放映時刻が「六月二八日午前零時四五分ころ」であることは原判決の認定するとおりである。

しかし、被告人は、昭和五七年一月二三日付け警察官調書(原審検乙七号)において、右画面のほか、「私は、一月二一日の午後に『荒鷲の要塞』というテレビ映画を見せていただきましたが、その際、ドイツ軍人等が集まっている酒場に武装したドイツ軍人が入って来て銃を構えた場面がありましたが、この場面について見たような気がしますが、(中略)この場面の時間が警察の方の測定した時計によりますと午前零時一四分でした。」旨供述しているところ、被告人の供述する右場面が、原審の検証調書(原審職権一六号)添付写真No.1の「ドイツ軍兵士がピストルを構えて入ってきた場面」であることは明らかである。何故なら、警察官作成の「テレビ放映の荒鷲の要塞の捜査結果について」と題する書面(原審検甲二四六号)及び右検証調書によると、右画面は、当日放映されたものと内容の編成及び映写所要時間がほぼ一致している「荒鷲の要塞」のビデオテープの本編を再生開始してから二〇分三三秒後に現れるところ、当日のテレビ映画「荒鷲の要塞」の本編放映開始時刻が六月二七日午後一一時五四分三五秒であるから、右画面のテレビ放映時刻は、右時刻から二〇分三三秒経過した時刻、すなわち、ほぼ翌二八日午前零時一四分ころになって、被告人が供述している警察の測定した放映時刻と一致し、画面の表示も一致するからである(捜査官は、被告の指示した画面を確認して、その放映時刻を測定したであろうことは想像に難くない。)。

そうすると、被告人が見た記憶があるというテレビ映画の画面は、放映時刻が六月二八日の午前零時一四分ころの画面と零時四五分ころの画面ということであって、午前零時四五分ころより三〇分ほども前の時点において、すでにテレビ映画を見ていたのであるから、「放映時刻午前零時四五分ころの画面を二〇二号室に戻ったとき見た記憶がある。」旨の被告人の供述は、見た時点が「二〇二号室に戻ったとき」という点において、その信用性に欠けるものといわざるを得ない。

(4) 以上によると、その直前の場面である「二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていた。」旨の被告人の供述についても、その信用性を是認する根拠はないことに帰する。

2  原審公判廷における不利益供述について

(一) 被告人は、原審第一回公判期日において、「被害者の部屋にいたことは覚えているのですが、自分がやったという記憶がありませんので、はっきりわかりません。」と述べ、同第二回公判期日においては、「被害者の部屋にいたことは覚えている。部屋に入るときのことは覚えていない。帰ってきたことは覚えている。」と述べ、同第一二回公判期日においても同趣旨の供述をしている。

(二) そこで、原審公判廷における不利益供述の信用性について検討する。

(1) 被告人が捜査官に対し最初の不利益供述をした当時、発熱して約三日間も食事がとれない状況下において深夜まで取調べがなされ、被告人の体毛が被害者方にあったと執拗に追及されて、被告人の自閉的内向的性格から心的破綻に陥り、記憶がないのは飲酒の結果であるかも知れないと考えるようになり、ついには「被害者方にいた。」と思い込むようになって、その旨の不利益供述をするに至ったものであることは前記のとおりである。

そして、右不利益供述の内容自体も、犯行の具体的内容に関するものは一切なく、単に、「被害者方にいた。」、「玄関ドアから出た。」というだけの抽象的、断片的なものであることから、捜査官の執拗な追及と誘導により容易に思い込むに至ったものと認められる。

(2) 捜査段階において不利益供述をするに至った経過は右のとおりであるが、関係証拠によると、その後、原審公判廷において不利益供述をするまでの間、被告人と弁護人との間に十分な打合せがなされなかったこと、そのため、不利益供述をするに至った動機、原因が前記のとおりであったにもかかわらず、これに対する吟味が十分にはなされず、その思い込みから解放される手段も講じられず、その機会もなかったこと、そして、被告人にとっては、弁護人らより捜査官である藤内らの方が自分のために便宜を図ってくれているという印象が強かったこと(当審第一三回公判調書中の被告人供述調書七〇項から一〇〇項まで)が認められるので、被告人としては、捜査段階と原審公判廷との間に質的な差異がなく、公判廷における供述であるからといって、その供述の信用性に影響を与えるほどの状況の変化はなかったものと認められる。また、弁護人においても、被害者方にあった体毛が被告人に由来するかどうか、証拠に対する検討が必ずしも十分には行われていなかったこともあって、有罪ではないかとの心証を抱いており、そのため、原審第一二回公判期日においては、誘導によって、被告人の原審第一回及び第二回各公判期日における不利益供述を肯定する旨(原審第一二回公判調書中の被告人供述調書一六六項、一六七項)の供述を引き出しているほどである(当審弁三〇号から弁三三号まで)。

以上によると、被告人については、公判廷における不利益供述であるからといって、安易にその信用性を認めることには躊躇せざるを得ないところである。

3  以上のとおりであるから、被告人の不利益供述をもって、被告人が二〇三号室で倒れている被害者の横に立っていたこと、その後、被告人が二〇三号室玄関ドアから出て二〇二号室に戻り、風呂場で身体(足と顔)を洗ったことの各事実を認定し、被告人が犯人であることの有力な決め手の一つであるとした原判決の判断は、是認することができない。

第五  被告人が被害者方の物音や騒ぎに気づかなかった事情について

被告人は、本件犯行当時二〇二号室にいたが、本件犯行に伴う二〇三号室の物音や騒ぎには気づかなかったと供述しているところ、このことが、そもそも被告人が犯人ではないかと疑われる発端の一つになっているように思われる。

確かに、関係証拠によると、二〇三号室の近隣居住者らは、本件犯行当時の二〇三号室の物音や騒ぎに気づいているのであるから、隣室にいた被告人がこれに気づかなかったというのは、一応不自然なことのようにも思われる。しかし、被告人は、テレビの音量を大きくしたまま、うつらうつらしたり寝入ったりしていたというのであるから、そうであるとすれば、気づかなかったということも十分考えられるところである。現に、関係証拠によると、被告人は、六月二七日午後一一時前ころまで音量を最大にしたような大きな音でステレオをかけていて、近隣の多くの者がその音を聞いている(原審第二回公判調書中のE証人尋問調書四一項から四八項まで)のであるが、一〇二号室のDは、そのころうたた寝していたため、右ステレオの音には気づかなかったというのである(原審第三回公判調書中のD証人尋問調書二三項、四〇項)。したがって、被告人が本件犯行当時二〇二号室にいながら二〇三号室の物音や騒ぎに気づかなかったとしても、このことをもって、被告人が犯人ではないかとの疑いを抱かせるほど不自然なこととは思われない。

第六  被告人が犯人でないことを示唆する事柄について

以上のとおり、被告人と本件犯行とを結び付けるものと考えられる事柄は、いずれも、これを是認することができず、他面、関係証拠によると、被告人が犯人でないことを示唆するもののように考えられる事柄も存する。

一  関係証拠によると、前記のとおり、被告人は、本件犯行当時放映されていたテレビ映画「荒鷲の要塞」の中の画面を記憶していたこと、そこで、捜査官がその画面の放映時刻を確認したところ、一つは、放映時刻六月二八日午前零時一四分ころの画面であったことが認められる。そうすると、被告人は、本件犯行の犯行時間帯(六月二七日午後一一時四〇分ころから翌二八日午前零時三〇分ころまで)の最中ころである六月二八日午前零時一四分ころには二〇二号室でテレビ映画を見ていたのではなかろうかと強く推測されるところであって、これは、そのころ被告人が「被害者方にいた。」とすることとは矛盾することになる。

なお、原判決は、被告人が二〇三号室から二〇二号室に戻って放映時刻六月二八日午前零時四五分ころの画面を見たと認定しているが、被告人が強姦や殺人という凶悪な犯罪を犯した犯人であれば、正常な落ち着いた精神状態にはなかったであろうと思われ、そのような精神状態の被告人が、二〇二号室に戻ってすぐテレビ映画を見るなどという心境になれるものか、甚だ疑問である。

二  関係証拠によると、前記のとおり、二〇三号室の近隣居住者らは、本件犯行当時の二〇三号室の物音や騒ぎに気づいているが、その際、原審証人F(二〇一号室の居住者)の証言(原審第三回公判調書中のF証人尋問調書六九項から八四項まで)によると、「ドタンバタンという人を追いかけ回すような音がして、『どうして、どうして』という助けを求めるような女の声がした。」ことが認められ、また、原審証人G(みどり荘東隣の居住者)の証言(原審第二三回公判調書中のG証人尋問調書二六項から三七項まで)によると、「床についてから、喧嘩をするのかなと思ったが、声がやさしかったので、(中略)すすり泣くような、哀願するような声で、『どうして』とか、『教えて』とか言っている女の声が聞こえた。」ことが認められるところ、右のような会話は、親しい間柄にある者同士の会話であるように思われる。

さらに、右のような会話の内容に加え、関係証拠によると、犯人は、深夜であるのに、二〇三号室に何らのいざこざもなしに入り得たようにうかがえるので、この点をも併せ考えると、犯人は、被害者と親しく、かつ、信頼関係のある者ではなかろうかと強く推測されるところである。

そうすると、被害者との間にそのような関係の認められない被告人を犯人であるとするのは不自然なことである。

三  関係証拠によると、本件犯行直後警察官が現場に臨場した際、被告人は、二〇二号室の電気をつけたままにしていたこと(原審第四回公判調書中のK証人尋問調書二六項、二七項)、そして、被告人は、みどり荘の周辺を捜査していた警察官に気づくや(警察官とは知らずに)、二〇二号室の窓から「何しよるか。」と声をかけたこと(同調書三六項から四三項まで)、その後、被告人は、二〇二号室の玄関先で警察官から事情を聴取されたり、隣室の居住者らと言葉を交わしたりしているが、その際、何ら不審な素振りも見せず、普段の一般の人と変らない落ち着いた態度で応対していたこと(同調書九四項、九五項、原審第三回公判調書中のF証人尋問調書二一八項、当審第一六回公判調書中のL証人尋問調書九一項、九二項)が認められるが、右のような言動は、強姦や殺人といった凶悪な犯罪を犯した直後の犯人の言動としては通常考え難いところである。そうすると、本件犯行直後の被告人の言動は、犯人の言動としては似つかわしくない言動であるといわざるを得ない。

第七  結論

以上の次第であって、本件公訴事実は、結局、犯罪の証明がないことに帰するから、被告人が被害者を強姦した後殺害したとして、被告人に有罪の言渡しをした原判決には、事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、大分市大字上野字村崎〈番地略〉みどり荘アパート二階二〇二号室に居住していたものであるが、昭和五六年六月二七日午後一一時三〇分ころから翌二八日午前零時四五分ころまでの間に、隣室の二〇三号室において、同室に居住している甲女(当時一八年)を強いて姦淫しようと決意し、同女の顔面を殴打し、両手で同女の頚部を締めるなどしてその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫するとともに、殺意をもって同女のズボンで同女の頚部を締めつけ、同女を絞頚により窒息死させて殺害したものである。」というものであるが、前記のとおり、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永松昭次郎 裁判官 徳嶺弦良 裁判官 長谷川憲一)

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